WANIMAが出すシグナル

皆さんおはこんばんにちは、Nポリです。

Twitterをフォローしてくださっている方ならばご存知かと思いますが、僕はWANIMAというバンドが大好きです。

ハマった経緯とかは省きますが、丁度去年の今頃から聞くようになったかと記憶してます。

そしてタイトルにもある「シグナル」という曲。この曲は2018年の1月18日に出された「Everybody!!」というアルバムに収録されている曲になります。WANIMAの曲の中でも、特に人気のある1曲ですね。

今回はこの「シグナル」という曲について、主に歌詞に軸を置いて色々書いていこうと思います。


冒頭から面白い

皆さん、歌詞カードはお手元に用意しましたか?このブログに全文まとめてコピペとかそんな野暮なことはしませんよ?部分部分で、抜粋しながら書いては行きますけど。

では先ず、冒頭の一文を読んでみて下さい。

不確かなまま はじまる今日は
変わらない いつも通り

僕がこの曲で一番好きな部分が、実はここになります。

不確かなのにいつも通り。誰が見ても分かる、明確な矛盾を孕んでいます。

そして歌詞はこう続きます。

顔を洗って 鏡の前 また苦笑い

ここまで見て浮かび上がってくることは簡単で、

・曲の主語となる人物が、日常単位でのギャップを感じてる

といったところでしょうか?

「不確かなままはじまる」けど、いざ過ごしてみると「変わらないいつも通り」の日常。それが分かってるからこそ、「顔を洗って、鏡の前でまた苦笑い」をする。

これ、「また」って言ってるところが憎いですよね。「鏡の前での苦笑い」すら、「変わらないいつも通り」。曲の主語が抱える悩み(と表現しておく)が、冒頭で分かりやすく説明されています。

WANIMAと言えば「ストレートな表現」と、「リズムに乗った歌詞の語感」にフォーカスされがちですが、こーゆースマートな遊び心も持ち合わせてるんですよね。

では、本題に戻りましょう。

時は流れ 空の下で
わからない事ばかり
またいつか… 未完成でいい
肩並べて…

う~ん、やっぱり分かりやすい(笑)

ここで言う「わからない事ばかり」と言うのは、流れ的に「日々(日常)の面白さ」かな。

時は流れた(時間がいくらか経過した)けど、「不確かなままはじまる今日は、変わらないいつも通り」のまま。

んで、ここからが難しい。「またいつか… 未完成でいい 肩並べて…」

僕の推測だと、「日々(日常)の面白さ」が今は「わからなくていい」と。

つまり、今は「未完成」のままでもいいからその「面白さ」を見つけに行こうぜ!って感じかな。

「肩並べて…」って書くことで、仲間の存在を示唆してるよね。だから、「一緒に見つけに(探しに)行こう!」って趣旨になるんかな。

ここまでの歌詞を見ただけでも、色々と見えてくる。さっきから僕が言ってた曲の主語は多分この曲を聴いてる人なんだろうね。もっと詳しく言うと、「WANIMAというバンドのメインターゲット」、すなわち「10~20代前半」の若者ってこと。

最後にまとめて書くけど、ここまでの歌詞を僕が言ったこと踏まえてもう一度読むと見方が変わるかもね。

WANIMAらしさ全開のAメロ

ここからはAメロに入るわけなんだが、これまたWANIMAらしさが全開なんですわ。

とゆうことで、順を追いながら見ていきますか。

僕は君を 君の日々を
どのくらい このくらい
言葉で言えるんだろう

ここ、かなり不思議な歌詞に見えるのは僕だけすかね?

この曲は冒頭のサビで、「いつも通りの日常」を嘆いています。

それがいきなり、「その日々をどのくらい把握しているのか」という問いかけがぶち込まれました。

恐らくここは、冒頭から使っている「曲の主語」なるものから視点が変わっています。

んで、どこ視点なのかというとWANIMAというバンドそのものでしょう。

何故そう言い切れるかと言うと、現実世界にリンクしてみれば分かるはず。

「日常」という観点に立つと、一般人である「僕ら(曲を聴いている人)」と超人気バンドの「WANIMA」では全然違う毎日を送っているはずです。

「僕ら」が過ごす毎日は、「恒常化」していて「退屈」で「平凡」な日々のはずです。日常がルーティーン化していると言えば分かりやすいでしょうか(例として、学生なら朝起きて学校行って授業受けて部活して…みたいな。普通のサラリーマンでも同じこと言えるかな)。

一方「WANIMA」と言えば超人気バンド。ライブにテレビに取材に引っ張りだこの毎日。並行して、新曲も作ってるんじゃないかな?

つまる、毎日が「変化」に富んでいて「刺激的」で「挑戦」の連続。

かなり大袈裟に書いたけど、こんな感じの対比が存在するわけですよ。

だからこそ、

孤独な日々を 底ついた希望も
どのくらい このくらい
僕は知ってるんだろう

と続くわけです。

全く違う日常を送っているからこそ、表現者である僕たちはどんだけ「知っているんだろう」か。

面白いのが、一文目の「孤独な日々を 底ついた希望も」という部分でも対比を表しているところ。というか、かなり過激な気がする(笑)。何故か。

僕の主観がかなり含まれちゃうけど、WANIMAって人気じゃん。

つまり「求められる存在」であり、多くの人から「応援される存在」なのよ。

だから、全然「孤独」じゃないし「希望が底つく」ことも無いわけ。

んで、ここまでで大体分かってきたと思うけどこの曲を通して「曲を聴いている人」と「WANIMA」の対比構造を作っているわけ。

それを踏まえると、「曲を聴いている人」を「多くの人から求められるわけでも、応援されてるわけでも無い人」って言ってることになるわけよ。勿論、WANIMA自身がそこを意識してこうゆう表現にしたとは思わないけどね。

と言うわけで、以上がAメロになります。

難解すぎるBメロ

さて、Bメロである。

が、正直そこまで深い意味は無さそうなんだよなあ。

ま、適当に解説していきますわ。

oh~ 弱音や愚痴吐いて未熟でも挑戦
Hey 笑って見てろよ
くだらないってため息数えて

はい、よく分かりません。

どっからどう見ても「応援メッセージ」を曲に乗せただけです。

ただ、恐らくなんだけどWANIMAというバンドの実体験を照らし合わせているというか、「何が大切なのか」というのを主張しているように見えるかなあ。

「日常の面白さ」が分からないんだったら、「弱音や愚痴吐いて未熟でも挑戦」しようぜ!周りの「笑ってる奴ら」は「指加えて見てろよ」。そんな奴ら「くだらない」って切り捨てながら「ため息数えつつ」前に進んでいこうぜ!

わかりやすく書くとこんな感じかな?

んで、どう続くかと言うと

ほんの一瞬 かすめた不安を掻き消すくらいの
交わすサイン 見逃さぬように…

進んでいく中で「ほんの一瞬かすめる不安」。それを「掻き消すくらいの交わすサイン」。このサインってのは、「チャンス」、若しくは「希望」を意味しているはず。そうすると凄くしっくりくる。

分断して書いちゃったけど、Bメロは大きなまとまりとして意味を捉えるべきだね。

「とにかく挑戦、笑われようがひたすら前へ。不安もあるけどそれを掻き消すくらいのチャンス(希望)を見逃すな!」ってことだ。

丁寧に読むと、思ったよりメッセージが込められてるな…。

サビ→Bメロの流れ、そしてその後

んで、冒頭と同じようなサビが流れる。

未完成でいい 肩並べて…

不器用でいい 顔を上げて…

になっているが意味は大きく変わらない。

「一緒に頑張ろうぜ!」的な意味が、「自分なりに頑張れ!諦めず、前向き

に行こう」って感じになっただけである。

で、今度はまたBメロに続く。

ここでも、

そばにいるから

と付け加えられているが、これは「WANIMAは頑張る人の味方だよ!」って意味だからここも大きく意味は変わらない。

問題はその後である。

いつの間にか
時は流れ 空の下で
今 何が見える?

Bメロから続いていることを考えて、「挑戦した先」のことを示している。

サビでも、「時は流れ 空の下で わからない事ばかり」と同じ表現を使っている。が、時間軸は別だと考えてもいい。サビは「挑戦する前(直前か?)」、ここでは「挑戦した後」となる。

要は、「挑戦する前」と「挑戦した後」で見える景色はどう変わったか?と問いかけているのである。

そしてこう続く

涙拭って 鏡の前 ほら元通り

面白い。本当に面白い、ここの歌詞。

「涙拭って」は失敗の示唆。

「鏡の前 ほら元通り」というのは、物凄く簡単に言うと「失敗したって別に大丈夫」ってことよね。通してみると、「チャレンジが失敗した、でも大丈夫だよ(だからどんどん挑戦しようぜ)」って感じかな。

んで、僕が何を面白がったのかと言うと。それは、「鏡の前」って表現をここで再び使っている部分。

思い出してほしい。曲の冒頭で使われた時、「鏡の前」にいたのは「苦笑いの自分(僕たち)」だったということを。

では、どんなメッセージを込めたのか?

それは、「保守的な日本人」に対する一つのアンチテーゼではないかと僕は考えている。

ここに関しては書くと長くなるので、最後にまとめて記述したいと思う。

では、続きを見ていこう。

大人になって子供に戻って
さぁ思い通り

まだ今は 未完成でいい
走り出した

恐らくここも、前の部分と関連して一種の「アンチテーゼ」になっているのではと思う。

WANIMA自身はここで「大人」という言葉をあえて否定的な意味で使っていると考えられる。ここも後でまとめて書くが、「思い通り」という部分が大きなポイントになっている(というか一番伝えたい部分)とだけ言っておこう。

「まだ今は 未完成でいい」っていうのは、結局「達成感」は分からないしまだ分からなくていいって感じかねえ。そうなると、WANIMAは「結果がでていない努力は努力じゃない」って考えの人なんだろうね(笑)。「挑戦したけど失敗しました」は「未完成」。だけど、「まだ今は」それでいい。何故なら、「走り出した(行動には移している)」んだから。


改めてじっくり見てみると、ここが「いつの間にか~走り出した」までがこの曲の主題になっているのがよくわかる。最後のまとめを見る前に、一度ここで何故かを考えてみて欲しいかな。


駆け抜けていくラスト

この後は、サビが続く。基本的には同じ歌詞が続く。

唯一、

揺るがない思い出 抱きしめて

とあるが、これはそのまんまの意味だと思う。

捻くれた解釈をするなら、「行動した以上、その全ては無駄じゃない(失敗も含めて)」って感じかなあ。「思い出」って言葉を使っている以上、少しズれてると思うけど。

では、続きを見てきましょう。

踏み出すスタート
ゴールまで…
描く未来像
1から100通り
好きにやって 駄目なら戻ってこい

かなりシンプル。というか、伝えたいのは「大事なのは最初の一歩」ってこと。

ここでも一種のアンチテーゼを投げかけており、「失敗することを恐れて、何もしないなんてありえない」的な感じが凄く伝わる。

難しいのが「駄目なら戻ってこい」ってとこ。言ってる意味は分かるんだけど、「どこに?」ってのが分からない。多分、そこは全く意識してなくて、単純に「挑戦するものへの後押し」って感じだろうね。

んで、続きが

ゴールまで
えらく長いぞ!!
勢いで空回り
「無駄じゃない」
何度でも唱えながら…

本当、良い歌詞やなあ…。

ゴール(=目標、夢)までは「すごく長いぞ」と。辿りつくのは、そんな簡単じゃないんだぞと。

張り切って頑張っても、「空回り」かもしれない。

でも、その努力は「無駄じゃない」。

「何度でも唱えながら」、「ゴール」に向かっていこう!

こんな感じやね。



とりあえず、歌詞の解説はこれにて終了。

最後に、この歌に込められたメッセージを解説しようと思う。

「挑戦」するWANIMA、何もしない「僕ら」

さて、この歌のテーマを一言で表すなら「挑戦」だろう。

そしてそれはそのまま、現代社会へのアンチテーゼにもなっている。

何もWANIMAは、夢も目標も持たずにアルバイトで食いつなぐ「フリーター」だけに向けてこの曲を歌っているわけでは無い。一番のターゲットは、「高校生~大学生(くらいの年代)」の人たちだろう。

僕が「この曲の主題」といった部分を覚えているだろうか?

いつの間にか
時は流れ 空の下で
今 何が見える?
涙拭って 鏡の前 ほら元通り
大人になって子供に戻って
さぁ思い通り
まだ今は 未完成でいい
走り出した

ここである。

ここの部分は「挑戦した後」、もっと言うと夢や目標に向かって「行動に移し始めた後」を歌っている。

ここの流れを改めて要約すると、「挑戦したけど上手くいかない、けど大丈夫!なぜなら、既に行動に移しているんだから」って感じなのだろう。

「結果」は大事では無い。では、「過程」が大事なのか?

残念ながら、WANIMAはそうも言っていない。

大事なのは、「挑戦すること自体」だと言っているのだ。

上で「この部分でWANIMAは、大人と言う言葉を否定的な意味合いで使っている」と、僕は言った。

何故なら、「大人」は広く一般的に挑戦することを嫌うからだ。正確には、「リスクを抱える」ことを嫌うのだ。

それに対して、まだ何も知らない「子供」を対比として使っているのだ。

日本人は保守的な考えの人が多い(と、言われている)。例えを挙げると、「就職」という面でそれは色濃く出ている。公務員や大手企業への就職を望む人が圧倒的な多数派。リターンよりもリスクに目を向ける。「安定」を望み、わざわざ「平凡」な道を選ぶ。そして須らく、「不確かなまま始まる」はずの毎日を「いつも通り」過ごし、「顔を洗って鏡の前で苦笑い」をしているのだ。

そんな中、ある種WANIMAは特異な存在なのかもしれない。「リスク」なんかに目も向けず、自分たちの理想を今も追い求めているのが彼らだ。勿論いいことばかりではないはずだが、それでも彼らは鏡の前でいい顔をするのだろう。

話を戻そう。

「大人になって子供に戻って」。実にいい言葉だ。

挑戦する楽しさを「知らない」くせに、僕たちはあまりにも「知りすぎた」のだ。子供のように、何も考えずに一歩踏み出してみればいいのだ。

失敗したところで「元通り」に戻るだけだ。何も失うものなんてない。

「未完成」でいいじゃないか。だって、「走り始め」ているのだから。

WANIMAの「らしさ」が詰まった曲

WANIMAが曲に「メッセージ」を込めるとき、基本的には何かしらに対して「アンチテーゼ」を投げかけている。

そういった意味で、「シグナル」と言う曲は「日本の国民性」にアンチテーゼを投げることによって若者を応援する、非常にWANIMAらしい曲と言える。

WANIMAの出したシグナルで、一人でも多くの若者が「挑戦」してくれることを願うばかりだ…。


ナポリを見て死ね

SSC.Napoliというサッカーチームのことを中心に、セリエAのことを(そこそこ)満遍なく

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